元なでしこリーグ女性サッカー選手3人がジェンダリストとして活動するユニット“ミュータントウェーブ”。トキメキではミュータントウェーブが日々、何を想い、感じ、行動しているのかを、それぞれの視点からコラムとして発信します。第三回は、ミュータントウェーブのリーダーおおちゃんの“性自認とトランジェンダーの自覚は近くて遠い”というお話。

無意識のうちに男女を割り振る社会

よくね「女性に生まれてきたことに違和感を覚えたのはいつですか?」とか「トランスジェンダーとして生きていこうと決めたのはいつですか?」とか聞かれるんですけど、この二つはちょっと遠い…というお話をさせていただこうと思います。
子どもの頃って自分は自分ですよね。
それが幼稚園や小学校に入ったりする頃に外部的な要因によって男女に分けられます。例えば「女の子だからランドセルは赤ね」とか、自転車も男の子と女の子のものって暗黙の了解でありますよね。
自分はいわゆる女の子の方を選択したくないのに社会の中でそれを割り当てられてしまう。
そこに関して「嫌だな」という感情はありました。
だからといって、いきなり「私はトランスジェンダーだ!」とかってなるわけじゃない。小さな子どもの頃なんて分からないじゃないですか自分の心と体のことなんて考えないですよね。
印象に残っているのは小学校に入って作文を書いた時。一人称を「僕は」って書いたんです。
そうしたら先生から「あなたは女の子なのだから“私は”でしょう」って怒られた。
それで「あーそうなんだ」みたいな(笑)。
私は名前が“さゆり”で、家では自分のことを“さゆり”と呼んでいました。でも外で人が女の子のことを呼ぶときは“ちゃん”づけで男の子は“くん”ですよね。
社会が男女を分けて呼ぶことで、私たちは記憶のないところから無意識に性別を刷り込まれていると感じます。
お尻まで伸びた髪の毛を小6でスポーツ刈りに!

私には年子の妹がいるのですが子どもの頃、母親が妹となんでもお揃いにしたがった。
双子コーデみたいな(笑)。
特に昔はピンクのフリフリ服がいわゆる“女の子の服”でした。
そういうのを試そうとするんですが私はそれが嫌で。
でもそれは「自分が女の子ではなく男の子だから、そういうのが嫌なんだ」という意識なのではなく単純に「「女の子に割り振られるものも、ピンク色もフリフリも自分は嫌い」という感じでした。
性自認が女性でも、いわゆる女性らしい色とかデザインを嫌う人はいっぱいいますよね。
母親は妹と双子コーデにしようとしましたが私が嫌がれば、同じデザインでも妹はピンクで私は紺、とか、セットだけど妹はスカートで私はズボン、とかにしてくれていました。
いわゆる「女の子だからこうしなさい」という押し付けはありませんでした。基本的には「自分で好きなものを選びなさい」という感じ。それは年子の妹がいたということも大いにあったと思います。
ただ唯一ダメだったのが髪の毛。きっと長い髪の毛をおしゃれにいじりたかったからなのか小学6年生まで、ずっと切らせてもらえませんでした。
一番長い時はお尻くらいまであった。すでにサッカーをしていましたから、長いのがめんどうくさくて嫌で嫌でずっと「切らせてくれ!」って言い続けていました。そうしたら父親が「もうそろそろ、いいんじゃない」って床屋に連れて行ってくれました。
私は「スポーツ刈りでサッパリさせてください!」って言って(笑)。
切った後は、もうメッチャ楽!!解放感最高でした(笑)。
トランスジェンダーをうっすら意識したのは金八先生?
発育が早くて6年生の頃には、けっこう胸も大きくなっていて。それは嫌だなあと思っていました。でもブラジャーをつけるのが嫌で、頑なにスポーツブラで通していました。
胸が大きいのは嫌だけど、だからといって自分の体を認めていないわけではなく、社会的に女性の体はそうなんだなって受け入れていました。もちろん嫌でしたけどね。
トランスジェンダーということをうっすら意識しだしたのは中学生の時に見た金八先生です。
上戸彩さんがトランジェンダーの役をされていました。その中で自分の声が高いのが嫌でフォークで喉を潰すなど、いろいろな描写がありました。
それで「もしかしたらこれと同じかも?」って(笑)。
「一緒かもしれないけど、私は自分の身体を傷付けるほどそんなに嫌って思ってないぞ。」みたいな。
上戸彩さんが女優として活躍していたし、なんか同じ匂いがしなかった(笑)。
それに小学校時代のサッカーの仲間でも私のような子もいたので、同じような子はいるんだなという意識はありました。トランスジェンダーかどうかは分からないけれど、似た匂いを感じるなって。
胸を小さくしたいという思いと“男性になりたい”は違う

高校生の頃には胸はEカップになっていて本当に嫌な思いがMAXになっていました。
ただ当時、サッカーの強豪校に通っていて本当に朝から晩まで忙しかった。
サッカーに打ち込んでいたので悩む暇なんてなかった。
自分の身体は好きじゃないけれど、女子サッカー界にいることで別段セクシュアリティに悩むことなく生きてこれたんですよね。
でもやっぱり胸は嫌だから胸を小さくする方法をネットで検索していました。
で、高校3年生の体育祭の時に“ナベシャツ”という胸を平らにするものを購入して着用しました。大体みんな胸を小さくしたくて検索をスタートすると思います。
でも胸が嫌で小さくしたいという思いと身体を男性にしたいというのは違います。
その頃の私は男性として生きたいと意識していたわけではありません。女性として生きていることへの違和感や、社会から女性として扱われることへの不快感といった方が正しいかもしれないです。
心に身体を合わせた結果、今があり、男性として生きている。

高校を卒業して大学に入った頃オネエタレントという人たちが活躍しだしていました。
彼女たちを見ているうちに「私はこの人たちの反対なんだろうな。でも男性的な人もいるしなぁ」なんて思うようになって。
胸を小さくする方法を検索し続けていると、いろんな胸をとった人の記事が出てくるんです。その中に男性みたいな胸の人がいる。それで、「え!胸って取れるの!?」みたいな(笑)。これが第一の気づきでした。
そこから、どんどん検索が加速してどんどん情報が入ってきて「どうやら戸籍の性別も変えられるぞ」と知ることになります。
「変えられる」と分かった瞬間、自分の中でパチンッって“トランスジェンダー”という認識にはまった。
当時はトランスジェンダーという言葉は知りませんでしたから、いわゆる性同一性障害というものでした。ただ、“障害”っていわれても自分が障害者だという認識はありませんでした。
「戸籍を男に変えられるぞ!」と分かったけれど、大学生だからお金もないし事務処理能力もない。
まだまだ子どもですよね。なのでリアルさはぜんぜん湧かなかった。
「いつかだろうな…」と思っていたくらいです。

サッカー界にいて困ることはなかったから、別にそのまま生きていってもいいなとも思っていました。現状に満足していたので。
ただその中で、なでしこリーグに入り、年齢を重ねていく中でお付き合いする人のフェーズも変わり、自分の精神年齢も上がり、いろいろ先のことを考えていく中でなんとなくだけど未来の自分がどう生きたいかのイメージが固まっていき、サッカーを引退したら手術するということを心のどこかで決めたのです。
その頃には、もうこのままの女性の身体で生きていく人生はまったく考えられなくなっていました。
皆さんに「いつ男性になろうと思ったのですか?」とよく聞かれます。
それはね、“性自認が女性の人が男性になろう”と思ったら、そう思うと思います。ですが、前提が男性の場合、「男性になろう」とは思わない。自分の心に正直に身体を合わせていったら男性だったというだけです。
ただ私の場合は男性というのも超えて“おおちゃん”という存在で生きてきた感覚です(笑)。
どうでしたか?
性自認とトランジェンダーについて、少しは伝わりましたでしょうか。
次回はみんな大好き恋愛話(笑)。私の恋愛観と恋愛遍歴をお話しようと思います。
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