利き手の反対の手で生活してみよう

人は無意識のあいだに行動をパターン化させてしまうものです。

たとえば、自宅を出てから学校や会社までの通学・通勤ルートを思い浮かべてみてください。
毎日ほとんど同じ行動をとってはいないでしょうか? 電車だってどこに乗っても自由なのに、いつもまったく同じ車両に乗っているという人がほとんどだと思います。

たとえば本屋さん。
あらゆるジャンルの本が置いてあるのに、いつも同じ棚しか見ていないのでは?
音楽だってそうです。
アルバムを聴くときも、決まった曲だけをかけていないでしょうか? 一度聴いてイマイチだと思ったら、その曲を飛ばして自分の耳に心地良い曲だけを聴いたりしてしまうものです。

でも、iPodのシャッフル機能(インストールした全曲の中からアトランダムに再生する機能)を使って音楽を聴いてみると、今まで「捨て曲」だった曲を聴くことがよくあります。
そうすると、「何度も聴いてみると、実はめちゃくちゃ名曲じゃん!」という曲に出会えることがよくあります(たとえばB’zの「春」という地味なバラードが大好きになったのは、掃除中にシャッフル機能で何度も聴いたからでした)。

このように、きっかけというのは、パターン化された自分の癖や習慣からちょっと外れたところにあったりするものなのです。

では、自分の癖や習慣を見直すには、どうすればいいでしょうか?
思考の癖はそうそう意識できるものではありませんが、行動の癖は意識しやすいものです。
今まであたりまえだと思っていたことが、実はぜんぜんあたりまえではないことだってあります。

まずは「あたりまえ」から見直すと、目からうろこが3枚剥がれ落ちます。

あなたにとって、あたりまえのことってなんですか?
たとえば、両手のひらを見つめてみると、右手で字を書くことが私にとってはあたりまえ。
そこで、ペンを利き手でない左手に持ち替えてみました。

すると、どうしようもなく下手くそな文字になる。
力が入らない。
3文字書いただけでも、まるで小学校1年生並み。
いや、1年生でももっときちんと書くかもしれません。

我が左手は、かくもだらしないものだったのかと気づきます。
となると、たまには意識して左手も使ってみようか、という心持になれます。
脳のトレーニングにもなりそうです。

そんなことを考えていると、自分のみの「あたりまえだらけの世界」で生活していることが表面化されてきました。
テレビがあるのがあたりまえ。
家族がいるのがあたりまえ。
駅のエスカレーターは、急いでいる人のために左側に立つのがあたりまえ……。

テレビにバスタオルをかけて1日を過ごしてみたら、読書量が3倍に増えた。
いてあたりまえの母だけど、病気になって何も話せなくなったらさみしいかもと想像してみたら、急に母が恋しくなって電話をした。
大阪でエスカレーターの左側に立ってみたら、「ねえちゃん、こっちに立ちいや」とおっちゃんに睨まれて、西と東の風習の違いを考えた。

あたりまえを疑うことで、これまで気づけなかったいろんなことに気づくようになるのです。

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この記事を書いた人

恋人夫婦仲相談所の運営者。
センシティブな話題のため周囲に相談できず一人で泣き寝入りしてしまう女性を減らすことがモットー。恋人や夫婦間におけるお悩みについて体系的な情報収集や身近なプロへの相談ができるサービス作りを目指して邁進中

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